ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず
コロナ禍が通り過ぎるのを外房の庵で静かに待つうち、僕の周りでは思ってもいなかったことが次々起きている。
昨年12月、南仏ニームの生産者のジャン・ポール・カバニスとzoomで話した。彼は引退して年金生活に入ったという。息子はいるが、厳しいオーガニックワイン造りはせずに街の飲食店で働く方がいいとのことで、ぶどう畑は細切れに売却、醸造設備も売却したので、在庫のワインが売切れたら廃業する。
クリスマスイブの夜、ビーフシチューを食べ始めた時、ボアソーさんから電話。「ガブリエル・タリが事業譲渡して引退した!」。タリ家の息子は出来が良すぎてパリ大学の法科で学び、そのままパリに残ったため、こちらも後継ぎがない。
タリ家の事業を購入した人物は在庫を引継ぎ、オーガニックワイン造りを続けるという。本来ならばフランスに飛んでいかなければならないが、コロナ禍では無理。やむなく翌週zoomで話したら、ガブリエルのスタイルを継承するとの言。当面、蔵にあるのはタリさんが醸造したワインなので、それを買わしてもらうことにするが、2021年以降はぶどうも仕込みもどう変わるのかはわからない。
二人とは、マヴィという社名を考え付く前、日本初のオーガニックワイン専門インポーター設立の準備をしていた1998年1月に出会って以来、23年間の付き合いだ。ジャン・ポールが僕より2歳上、ガブリエルは1歳下。引退の適齢期か…
そして立春の2月4日、ボルドー、アントレ ドゥー メールのジャン・リュック・ピヴァの訃報が入った。
僕は2019年夏にピヴァ家の居城、シャトー セニャール ド ポミエでボルドー騎士に叙任されたのだが、その頃すでにジャン リュックはパーキンソン病に罹患して元気がなかった。しかし、まさか亡くなるとは…
言葉が出ない。
2000年2月に初めてシャトー セニャール ド ポミエを訪問して以来、彼とは何十回も語り、食べ、飲んだ。ものすごい南部訛りの早口でオーガニックワインを熱く喋り続けるのだが、食べる速度も飲む速度も速い。日本にも何度か来てくれた。
ジャン・リュックは僕と同い年だった。享年63歳。
彼はどこへ行くにも娘のサンドリーヌを連れていた。ぶどう畑も醸造も販売も。今や2人の子供の母となった彼女が家業のワイン造りと700年の歴史を持つシャトー セニャール ド ポミエを背負って立つ。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」
鴨長明が800年前に記した言葉を実感する齢になった。
ボルドー大学醸造科に学んだ塩澤悠君が帰国、マヴィに入社した。
長野県飯田市のマヴィ特約店「酒のしおざわ」の長男だ。マヴィは完全テレワークなので飯田に住み、家業も学びながら勤務する。光回線があるのでVPNで本社サーバを使えるし、zoomで社内ともヨーロッパの生産者ともいつでも会えるからどこに居ても不自由はない。長くヨーロッパでワインをしっかりと学んだ彼が、新たなうたかたを結んでくれることを期待したい。