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マヴィ史

マヴィ設立以来のこと5

マヴィ史

EUから日本へ

一方、この機会に乗じて外国からのオーガニック農産物や食品の輸入を止めようとした動きがありました。これが前述の有機団体役員たちや、同調する農水省の役人たちだったのです。認証制度というのはいわばグローバルスタンダードの導入ですから、先進のEU側は甘く見ていたようです。外交交渉で「EUのオーガニック認証制度は、日本が導入する制度と同等である」と合意していたのですが、実際の実施に際してはEUの認証機関がオーガニックと認めたものであっても、日本側の認証機関が検査して認めなければオーガニック認証はできないと突っぱねてきました。ここで使われた言葉は「制度は同等であるが、それでは不十分で、同一でなければならない」という訳のわからないローカルルールだったのです。社会が違えば、どんな解釈も同一ではありません。そこで同等を認め合うというのが外交上のグローバルルールなのです。EU加盟各国間でも社会構造が異なるため、完全な一致ということはありません。それでも国際間の取り決めに従って処理しています。違う社会を繋ぐのが外交プロトコールなので、この場合日本の農水省の対応は明白に国際信義則違反でしょう。ちょうど有機JAS認証制度開始の2ヶ月前にEUの通商委員(大臣)の日本訪問があり、私は関係各国大使館にこの機会を利用すべしと提言、根回しをして、閣僚交渉の場でこの件にEUが遺憾の意を示し、日本の農相はすぐ善処すると言わざるを得なくなったという経緯もありました。

一般農産物は農水省管轄のJAS認証の対象ですが、面白いことにワインなどの酒類は国税庁の管轄です。つまり役所の縄張りが違うのです。私はEUOFA代表理事として、農水省との折衝でローカルルールの厚い壁とぶつかっていたのですが、国税庁とはすんなりと折り合いがつきました。国税庁の見解は明快。国際的な制度同等性が合意されている以上、EUの認証団体のオーガニック認証はそのまま認める、というものです。これは役所間の文化の違いを表しているものでしょう。国内の農地とか農産物を扱う農水省と、世界を飛び回る国境の無いお金を扱う財務省では世界観、外交観の重みが全く違うのだということを実感しました。幸いにもマヴィはオーガニックワイン専門ですからこの騒動に巻き込まれずにすみました。

最終的に農水省も折れて日本に輸入する際に輸入業者はJAS制度に登録をしなければならないが、生産の検査自体はEUでの認証を信用して日本の認証機関の検査は省略することになりました。ただしEU各国が国としてその認証書の正当性を保証するという条件を付けられましたが、農水省は書式さえ提示しません。そこでEUOFAで農水省とEU各国大使館の間に入って調整、書式ひながたをまとめて公開しました。すると今度はEU側での各国毎に対応が異なる事態を引き起こしました。イタリア大使館は即刻書式を発行してすんなり輸入ができるようになり、ドイツ大使館は本国に紹介した結果、連邦の大使館にはその証明書式を発行する権限はなく、各州政府になるということで、それぞれの州ごとに対応が変わってくるなど、対応に数ヶ月かかり、ドイツ産オーガニック食品はその間輸入できなくなってしまいました。まさに国ごとの文化社会背景の違いをはっきり炙り出しました。イタリアがオーガニック農産物のほとんどを輸出しているのに、ドイツは最大のオーガニック消費国で完全な輸入超過。イタリアの役所は農林政策省であるのにドイツは農業・消費者保護省であるということもその姿勢を現していて興味深く感じます。

各国大使館と緊密に連絡を取って動いていたこともあり、EUOFAの講演会のたびにEU各国大使館からは外交官が出席してくれましたし、2002年1月のフランス出張の際にはドイツ大使館より農業イベントのグリューネンボッヘ(緑の週間)へ招待されて、ベルリンとボンの農業・消費者保護省を訪問しました。オーガニックを担当する課長級との面談でドイツのオーガニック政策のバックグラウンドと今後の方向性を知ることができたのは大きな収穫でしたし、また緑の党から初めて農業消費者保護大臣となったキュナスト女史がグリューネンボッヘの会場で行った、オーガニック農地率を5%から10%へ5年間で倍増させるという、初めて数値目標を示した歴史的なスピーチをその場で聴いた感動が忘れられません。

その後ヨーロッパ最大のオーガニック認証機関ECOCERTの国際認証担当のクラッツ部長を訪ね、北ドイツの自宅に泊めてもらい真夜中まで語り合い、ブリュッセルのEU本部食料総局にイギリス人のゴーエン オーガニック専門官を訪ね、EUがなぜオーガニック農業を必要とするかをインタビューし、パリの農水省でヴィダル課長や補佐官たちと話し合い、たくさんの資料を提供してもらいました。またスペインのアンダルシア州政府より招待され、オーガニック農業委員会のカセロ委員長と数日間行動を共にし、コルドバではオーガニック食品生産者を集めて講演をしたり、農業大臣にもお目にかかりインタビューもさせてもらいました。彼は率直な言葉で「オーガニック農業は過疎化した人口の再定着化政策」と言い切りました。

この2002年のヨーロッパ出張で、たくさんのオーガニックに関わる指導者や行政官や実務者に会って話を聞きまくった中ではっきりわかったことがあります。それは、オーガニックは単に農薬や化学肥料を使わない農法などではなく、個々人の生き方=ライフスタイルなのだということです。「健康な生活を守ることと住み続けられる環境を守ることを両立させましょう」ということを念頭に置き、自分にできることを実践していこうというライフスタイルだったのです。それがヨーロッパでは1980年代に成立したことこそが、その後世界をリードするオーガニック文化を生み出したのだとはっきりと理解できたのです。

ヨーロッパでも国が関与する前の1970年代まで、オーガニックはヒッピーの思想であり、反政府運動や宗教活動に密接な関係を持っていました。しかし国が認証し、助成金を支出するためにはまずかったのです。そこで「オーガニックはライフスタイル」と置くことで、一般の人たちがすんなりと一緒に実践できるようになったのです。

その後のEUOFAはヨーロッパの認証制度や個々の商品を研究するのではなく、オーガニックがどうやってヨーロッパで育ってきたのか、またEUは政策として何を求め、どんなメリットがあるのかを研究するように性格を変えて行きました。その根幹が実はRural Development Program(地方発展政策)であることが明らかになってきたからです。オーガニックというライフスタイルをひとりでも多くの国民に共有してもらい、自国のオーガニック農産物を高く買って支えてもらい、農業支援財政支出が増えることも支持してもらおうという目論見なのです。こうした政府レベルの取り組みがあったからヨーロッパではオーガニック農業が発展したのです。有名なイタリアのスローフード運動も補助金でオーガニック転換させたものの、農産物の国内市場がなく、ドイツ市場への依存が危険だから、何とか国内(特に富裕な北イタリア)に支持者を増やすことが目的だったのです。

帰国後、私は世界貿易の枠組みの中でのオーガニックの役割やEUの政策の中から日本でも実行可能なものの洗い出し、政策提案を作りました。しかし持って行き場がないまま悶々としていた折、創刊したばかりの朝日新聞beトップページに後藤田正純衆議院議員が紹介されたのを目にし、彼の話す農業改革政策に荒削りながら自民党とは思えない新鮮さを感じ、すぐに手紙を送ったところ、面会の機会をいただき、即意気投合して、情報交換をするようになっていきました。

(続く)

2024年オーガニックボジョレーヌーヴォー到着