マヴィ設立以来のこと2
マヴィ設立
生産者大会「ミレジム ビオ」はラングドック・ルーション地方のオーガニック生産者が催す小規模の見本市で、体育館のような会場に30軒程の農家が会議机を置き、前年秋に仕込んだ新酒を並べていました。今のミレジムビオからは想像も付かないほどにこじんまりしており、来訪者はドイツ人が多く、ほとんど顔見知りという雰囲気でした。
とにかくボアソー先生と2人で全ワインを2日かけて全て試飲、玉石混交、正直レベルが低いと感じました。最初はオーガニックワインならば何でもいいとさえ思っていたのですが、とんでもないことだと気付き、間違えて「石」を拾ったら大変なことになるので、「玉」を探すことに専念しました。そしてようやくこれはと思う5軒の農家から仕入れることを決めました。
また、別ルートで見つけて直接訪問した、ボルドーとブルゴーニュと南西フランスの3軒を加えてどうにか8農家のワインでスタートすることに決めました。
次は酒販免許!ワインを輸入販売するには必須なのですが、私は酒屋の息子ではないのでそもそも酒販免許がなく、いわば利権みたいなもので、そうたやすく出るものではないからどこかの名義を買おうかなどと悩んで税務署に相談に行ったところ、なんと申請すれば出してくれるというのです!ただし、酒販免許基準緩和以前であり、資格は厳しく、揃える書類も膨大な量でした。その資格の中に人的要件といって、私が信用できる人物であること、酒を扱う職歴が長くて職務に熟知していることなどを示さなければいけません。ここで以前勤めていた食品メーカーがワインやみりんという酒類を製造販売していたことが役立ちました。しょうゆの国際マーケティングという、酒販とは無縁な仕事しかしていなかったにもかかわらず、酒販経験年数として認めてもらえたのです。
こうして無駄なコストをかけず、自力で無事に自己輸入ワイン通信販売免許を取得して幸先のよいスタートを切ったのですが、商売はそんな甘いものではありません。肝心の売り先がなかったのです。そもそも条件付酒販免許で売り先を通信販売に限定していたこともあり、料飲店や酒販店に卸売りできなかったのですが、当時はまだADSLや光といったインターネット常時接続が普及しておらず、通信販売で生きるということは、元になる顧客層をもっていなければならなかったのです。顧客層への通信手段は郵便のDMや申し込みハガキ、回収率はよくても数%と低いため、宣伝やPRのための充分な資金があるか、多くの会員を持つ団体でもなければ、消費者に直接働きかけることは極めて困難です。しかもオーガニックワインなどという、これまで聞いたこともなかった商品を通信販売で注文してくれるという奇特な方はなかなかおらず、友人知人の伝手で紹介するしか方法がなく、はっきり言って全然売れません。
合成保存料や香料を使わないワインは、10℃から19℃の間で温度管理をしないと品質が劣化して不味くなります。よく「オーガニックワインは不味い」と言われますが、劣化して不味くなってから飲めば不味いのが当たり前です。通常、ワインは店先で温度管理せずに陳列販売されています。本場のヨーロッパでは室温が年間を通してだいたい10度台なので、これで構わないのですが、日本の場合2~30度台と高く、とても持ちません。そのうえ海上輸送では4~50℃の熱帯を1ヶ月近く通って来るため、高温でも耐えられる強さが要求されます。そこで体には優しくない合成保存料や香料、調味補正剤といった添加物を使うことになります。残念なことに日本ではそういうワイン以外売っていなかったのですから、消費者はみな、「ワインの味とはそういうものだ」と誤解しています。なので自分をワイン通と思っている方からはよく「マヴィのオーガニックワインは物足りない」とも言われました。ワイン通ほど、実はうんちくと濃い味や香り付けでごまかされているのでしょう。こんな添加物を使わないオーガニックワインはきちんと温度管理をしないと壊れてしまうので、冷蔵コンテナで海上輸送、国内でも定温倉庫で保管するしかなく、そのコストは一般ワインの3~5倍にもなります。持ってくるだけ、置いてあるだけでもコストがかさみ、しかも売れないのですから収支は火の車、自分の給料が出ないのみならず、周囲から借金をして大赤字を補填するしかないという日々でした。
そしてヨーロッパから持ち帰った愛車も売り払い、生活費に充てていた資金も底をつき、いよいよだめかと思ったときに、光明が表れました。平成フードサービスという大型居酒屋とファミリーレストランチェーンをオーガニックで運営しよう、としている会社がオーガニックワインを探しており、たまたまマヴィを見つけてくれたのです。当時この会社を切り盛りしていた武内副社長はマヴィの品揃えと品質に驚かれ、採用を即決してくれました。
ところが卸売り免許がありません。赤字会社だし難しいだろうと案じつつ税務署に再度相談に行き、事情を話したところ、売り先条件を緩和して卸売りできるように取り計らってくれたのです。すでに免許を持っている業者が事業拡大のために免許条件を緩和してもらうというのは、税務署にとって問題なくむしろ喜ばしいことだったのです。
こうして通販以外の卸売りという販路が加わり、ようやく安定収入が確保されました。売上の8割をこのチェーンが売ってくれるのですから、フランスのオーガニック農家との関係をしっかりとして、仕入れさえ切らさないようにすればよいだけです。そこで新たな供給先を一気に増やし、年間計画を作ってたっぷりとワインを買い付けました。
平成フードサービスにはオーガニック系食材供給業者がたくさん集まっていましたが、ここで共働学舎の宮島さんや興農ファームの本田さんに出会ったことは大きな収穫ですし、全共闘学生運動を経て有機農業へ関わった人が多いということを知ったのもこの頃でした。JAS有機農産物認証制度が始まる前で国内では関係者たちの間で議論がされており、外国のオーガニックへの敵意もかなり強く感じました。起業の際、「オーガニックワイン専門で」と言うと、食品業界の友人たちから一様にやめておくように言われていたのです。最初は意味がよくわからなかったのですが、「こういうことか」と納得しました。
その後、平成フードサービスは儲からないオーガニック路線から撤収、武内さんはワタミに移りました。マヴィは安定した大口顧客を失い、倉庫には見込み仕入れをした在庫ワインが山と積まれ、そのうえ生産者の元にも仕入れを約束した1年分のワインが溜まって、まさに倒産の危機に直面しました。しかし幸いにも平成不況の真っ只中で、ちょうど小渕内閣が打ち出したセーフティーネット政府緊急融資を受けて、土俵際の福俵に片足で踏みとどまることができました。1社の大顧客に頼る経営がどれだけ危険なことかを学び、以降はチェーンとの取引を可能な限り避けることにしています。
(続く)