ワインの味について考える:「本当の」個性とは?
近年、スーパーの野菜売り場や生肉売り場でも、商品の生産者の紹介や写真を一緒に見かけることが多くなってきました。マス流通とはいえ、購入する商品に対して関心を持つ消費者が増えてきて、それに対応する動きでしょう。大変すばらしい事で、生産物の背景を知り、知ったうえで商品を選ぶ消費者がもっと増えて欲しいと願っています。そして、私たちお酒を提供する側も生産者の姿を伝えるのは当然の事と考えなければならないと思います。
お酒の世界でも、果実酒である「ワイン」は特に生産者の個性が商品により反映されやすいものです。
ワインではよく「テロワール」という言葉が使われますが、その言葉の意味、概念に一番近い言葉は日本語でいうところの「風土」ではないかと思います。テロワールの語源はラテン語の「土地」を意味する “terra “や「領土」を意味する“terratorium”から派生しています。
17、18世紀頃から「農業的能力 によって区切られた範囲」を表す地理的用語として使われるようになり、さらには土地の特徴にとどまらず、農場を取り巻く気候、人々、その考え方や感じ方など総合的な環境まで抱合した概念として用いられるようになりました。
ワイン作りでは何が大切ですか?とよく聞かれます。
土壌から葡萄、作り手の仲間意識や人付き合い、代々続く伝統や経験、製法から保存…等ワインを取り巻くものは全て大切です。そんな小さい要因の積み重ねが集まって「ワインの味」に表れるものです。
だから、この要因があったら決定的にこうなるのだ!とは言えません。
全てに恵まれた環境でワインを造ることができる生産者は多くありません。
それぞれ与えられた環境で自然を相手に上手く付き合う。限られた資源を巧みに利用し、伝統や文化を守りながら時代の背景と消費者が求めるものも考慮する。そして、そこに造り手自身の思いや考えをワイン造りで表現する。
これが「テロワール」という概念でしょう。
私はボルドー大学醸造学部で、醸造家が見る世界からワインをテイスティングし、評価が出来るように訓練しています。そこで私たちは、どうすればワインを最適な状態に作り上げるのか、欠陥と呼べる要素は出来るだけ除く事が善だと教えられています。
「ワイン」は生産者の葛藤、哲学、人生、即ち「個性」がより反映されている飲み物だ、と主張したくなる理由はここからきていると思います。
ボルドーでもブルゴーニュでも、ワイン造りが盛んな地域には、必ずと言っていいほどワインを学問として教える大学があり、大学付属のワイナリーも存在します。
そこでもワインは当然作られているのですが、彼らのワインを試飲しても感動が少ないのです。世界的に見ても第一線で研究している学識経験者が集まっているのにも関わらずに、です。
大学の授業ではブラインドテイスティングが頻繁に行われて、先日のラインナップに大学で造られたワインが入っていました。私たちは知らずに試飲をして評価を下していたのですが、なんとそのワインに高評価を下した生徒は殆どいなかったのです。
これは私たちのテイスティング能力が劣っているのではなく、理論と知識を使い計算して、奇麗に作られたワインに個性が見出すことができず、所謂「普通」のワインと評価したということなのです。
使われた葡萄の特徴(ティピシティ)、醸造を経て生まれる香りや味を感じとる事は出来ましたし、欠陥と言えるような要素はありませんでした。ただ、あまりにも計算し尽くされたワインは正直に言って面白くなかったのです。
ワインの味を科学的に分析し、香気分子、口で感じ取ることのできる酸味、甘み、苦みから始まり、生態学的にも脳科学的にも私たちがどう感じるかを狙ってワインを造ることは出来ますが、それだけでは生産者の個性がワインには反映されておらず、結果的に私たちも特に感動しなかったのです。
お酒を売らせていただいている立場として、科学的に見て美味しいから、だけではなく、「生産者の姿が見える、個性が見事に表れているワインをお客様にお渡しできる」ということを大切にしたいと願っています。
私の父はよく「生産者の顔が見える商品」しか扱いたくないと言っていましたが、父の言っていることが少し理解できるようになった気がします。
(2020.05.28)